top of page

国の格差が生まれる背景って?【前編】



皆さんは東南アジアと聞いて、どこの国を思い浮かべますか?





飛行機で6、7時間ほどで行けるため、中には旅行などで行ったことがある方も多いのではないでしょうか。さて、今回はそんな東南アジアに関する記事です。


【目次】


1.国同士の貧困格差ってどれくらい?

2.歴史背景① ~植民地時代から終戦まで~

3.歴史背景② ~終戦後に発展した国々~




1.国同士の格差ってどれくらい?


 東南アジアには現在11の国があり、それぞれ独自の文化があります。そのすべてに魅力があり、人気の観光地となっている場所、アジアン料理といった明るい側面が多くあります。一方で、東南アジアには貧困格差といった暗い側面があることも事実です。いったい、どれほどの格差があるのでしょうか。それを見るための一つの方法として、「世界保健チャート」があります。今回は最新のデータを基に実物と同じような表を作成しました。これを見ると、東南アジアだけでも上位に位置している国とその他の国々との差の大きさが分かります。なぜこのように差が生じているのでしょう。



(GLOBAL NOTEを参考に、筆者作成。円の大きさは人口を示している)



こちらは、シンガポール、ブルネイ、マレーシアを除く国々のみを表した表です。 7.000ドルを境にLv.2・Lv.3と分かれています。


2.歴史背景① 

~植民地時代から終戦まで~


 格差の原因を歴史を確認しながら分析します。東南アジア地域では、16世紀ごろから香辛料を求めてやってきたヨーロッパ諸国と交流をしていました。やがてヨーロッパ諸国で産業革命が起きると、資源が豊富な東南アジア地域は工業製品に必要な原材料供給地、工業製品の販売市場として注目され、ヨーロッパ諸国との関係は貿易から領土支配へと転換しました。そして資本主義経済に組み込まれた国や地域が誕生しました。そうして、植民地化した国々(タイを除く)は第二次世界大戦下では日本による支配を受け、やがて終戦を迎え次々と独立します。



3.歴史背景② 

~終戦後に発展した国々~


 独立した国々は農業国から工業国へと移り変わりました。そして自国で生産した工業製品を売る手段として、輸入代替型と輸出志向型という二つの戦略がありました。前者は、工業製品を国内で生産し、国内で販売していく戦略。後者はこれを世界に向けて輸出していくという戦略です。シンガポールはマレーシアから分離した後、真っ先に輸出志向型へ転換し、海外とのパイプを作り上げました。次いでタイ、インドネシア、フィリピン、マレーシアもシンガポールに続いて転換し、海外企業を受け入れるための環境整備(インフラ整備、政治社会の安定化)に取り組みました。こうして、外国とのパイプを強めた国々はどんどん豊かになって行きました。世界保健チャートからもこの5か国はレベル3・4に位置していることが確認できます。

※ベトナムに関して、最新の情報から作成したグラフからはレベル3に位置していることが確認できます。しかし、2017年においてはレベル2に位置していました。そのため、終戦後の流れを説明するためにベトナムに関しては、レベル2に位置していた年代を基に説明させていただきます。




参考文献

岩崎育夫『アジア近現代』中公新書、2019
岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史』中公新書、2013


記事を最後までご覧いただき、ありがとうございます。今回は前編後編にわたって、記事を投稿いたします。


後編はレベル2の国々「終戦後も混乱が続いた国々」と「東南アジアのこれから」という内容でお届けします。終戦後に発展できた国とそうでない国。その違いは一体何か、分析していきます。


次回投稿は 4/25(日)です。お楽しみに!


執筆者:FESTTOKYO 国内フォトワーク事業部 三好 大晴






 
 
 

1 Comment


さらま
さらま
Apr 22, 2021

自分は今カンボジアにいますが、他の東南アジア諸国と比べここまで差があるとは思っていませんでした。フィリピンにも行ったことがあり、あまり生活レベルは変わらないなという印象だったからです。でも確かに今振り返ってみると、フィリピンは富裕層と貧困層の格差が大きかったかもしれません。後編も楽しみにしています!

Like
ヴィラ班の現在の活動
bottom of page