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タリバンのニュースよく聞くけど、タリバンって何だろう?イスラム教って危ないの?


  1. はじめに

  2. タリバンって?

  3. イスラム教って女性差別的なの?

  4. おわりに



  1. はじめに

 さかのぼること4か月前、アメリカのバイデン大統領は、2021年9月11日までに、米軍をアフガニスタンから完全に撤退させることを発表しました。その後、撤退は順調に進んでいたようですが、米軍が撤退すると同時にタリバンが勢力を拡大し始めました。そしてタリバンは8月15日、首都カブールを制圧し、「戦争は終結した」と宣言しました。現在では、タリバンの支配によって再びアフガニスタン国内で女性が抑圧されたり、専制的な政治制度が敷かれてしまうことが懸念されています。

 

 タリバンの肩書きは、「イスラム教スンニ派過激組織」というものです。タリバンに限らず、アルカイダやISISなども、イスラム教過激派等と呼ばれ、日常のニュースでこのような言葉を聞いているうちに、「イスラム教って危ないの?」と思ってしまう方も少なくないでしょう。たとえば、イスラム教を国教としているサウジアラビアでは、近年まで女性が車を運転することが禁じられていました。イスラム教という宗教は、そんな前時代的な、女性差別的な宗教なのでしょうか?


 今日は、タリバンという組織とはどのようなものか、そしてイスラム教と女性差別について、お話していきます!




図1. アフガニスタンの位置


  1. タリバンって?

 では、まずはタリバンの歴史から見ていきましょう。

 1979年頃から、アフガニスタンに軍事侵攻を続けていた旧ソ連が、1990年代初頭にはその崩壊とともに撤退していきます。支配者の撤退に伴って、アフガニスタン国内では支配権をめぐって各地で武力衝突が発生し、内戦状態にありました。

 そんなアフガニスタン国内において、1994年11月、南部の主要都市ガンダハルがタリバンによって制圧されました。これがタリバンのデビューでした。その鮮烈なデビュー後、各地で軍閥を破っていき、96年9月には首都カブールを制圧して「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立を宣言しました。

 

 では、そもそもタリバンとはどのような組織なのか。それは、タリバンという名前の意味を紐解けばわかってきます。

 「タリバン」とは、「アッラー(イスラム教の神)の道を求める者たち」という意味です。もう少し身近な言葉でいえば、「神学生」という言葉になります。イスラム教には聖職者がいないため、キリスト教における神学生とは少し違いますが、イスラム教を学んでいる学生たちのことを意味します。

 ソ連侵攻によって発生した紛争から逃れてきた難民たちが、パキスタンの難民キャンプでイスラムの神学校(マドラサ)を開きました。そこで宗教教育や軍事訓練を受けた生徒・教師たちで結成されたのがタリバンだと言われています。


 その後、タリバンはアフガニスタン全土にわたって厳しいイスラム法を元に統治を続けます。そのもとでは、女性の就労禁止や教育の禁止、「ブルカ」(下写真)の強制といった女性を抑圧する政策だけでなく、あごひげを生やさない男性を逮捕したり、映画や音楽、テレビまでを禁止する、極めて厳しい政策が取られていました。1998年には、イスラム教の決まりである偶像崇拝の禁止を徹底するため、世界遺産に登録されていたバーミヤン州にあった仏像遺跡群の石像の一部を破壊しました。取っていた政策は厳しいものでありましたが、彼らの関心はあくまでアフガニスタン国内をイスラム法によって厳格に統治することでした。しかし、このころ、国際テロ組織「アルカイダ」の指導者であるオサマ・ビン・ラディンらを保護下に入れたことでその世界観に影響され、欧米諸国や国連に対して敵意を持ち始めたようです。




図2. イスラム圏の女性の服装


 そして、2001年アメリカ同時多発テロをきっかけとして、アメリカはテロの首謀者である、アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンを匿い、その引き渡しを拒否したタリバン政権に対して同年10月、攻撃を開始しました。同じ年の12月になるころには、タリバン政権最後の拠点は陥落し、タリバン政権は崩壊しました。

 しかし、タリバンの一部は隣国パキスタンに拠点を移します。そこで勢力を回復させ、2002年からは反政府勢力としてアフガニスタン政府に対してテロ攻撃を仕掛けるようになっていきました。

 タリバンが拠点をパキスタンに移したことで、パキスタン国内の一部の部族がタリバンを支持し、武装組織として活動するようになりました。パキスタン・タリバン運動(TTP)という名前でしたが、2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんを下校途中に銃撃したのは、このTTPでした。

 このように、厳格なイスラム法の適用を目指すタリバンの影響はアフガニスタン国内にとどまるものではないのです。


  1. イスラム教って女性差別的なの?

 では、何故彼らは女性を抑圧するのでしょうか?彼らは、その根拠をイスラム教の聖典であるコーランや、預言者ムハンマドの言行録であるハディースに求めます。たしかに、相続制度や、一夫多妻制といった、コーランにあるいくつかの規定は、女性の地位を下げるもののようにも見えます。さらに、4章34節には「男は女より上位にある」などという言葉まであります。イスラム教とは、女性差別的な、前時代的な宗教なのでしょうか?

 私は、必ずしもそうではないと思います。たしかにこの4章34節の言葉はいただけないものかもしれません。しかし、コーランを読み進めていけは、「女は男より下なんだから男のいうことを聞け」というような言い方はされていないことがわかります。むしろ逆です。「男が女より上位にあるからといって傲慢になるのではなく、男は女をいたわり、女性の権利を保障すべきだ」というような事を言っているのです。考えてみてください、この神の言葉が記録されたのは今から1400年も前のことです。その時代に、限定的ではありながらも女性の権利を聖典に明記しているのです。決してイスラム教が、男女差別を助長するような土壌を生む宗教というわけではないということがわかるでしょう。

 コーランもハディースも、その内容を解釈する際には注意が必要です。なぜなら、先ほども触れましたがこれらの決まりが作られたのは今からおよそ1400年前ほどの事と言われていますし、背景にある価値観も、現代のものとは大きく異なる、7世紀アラブ世界の中でのものだからです。例えば、先ほどあげた一夫多妻制の啓示は、ウフドの戦いの直後に顕れたものだといわれています。イスラム教の創始者、預言者ムハンマドは、自分たちの土地を求め、自らの部族を率いて周囲の部族と戦いを続けました。その戦いの中で、ムハンマド側に甚大な被害が出た戦いが、ウフドの戦いでした。つまり、戦闘の結果夫を亡くした未亡人や孤児が大量に出たのです。一夫多妻制の啓示は、このような状況で、生活に困っている寡婦たちを助ける目的があったと解釈されています。さらに、この啓示には複数「娶った妻を公平に扱えないようなら一人に留めておけ」という言葉もあります。夫を亡くした寡婦たちを助け、さらに彼女らが不遇を受けないようにしているのです。

 また、当時のアラブ社会には、口減らしのために女児を殺すことがよくありましたが、イスラム教では子殺しを大罪として明確に禁止しています。当時の社会にしてみれば、かなり革新的な宗教だったと思われます。


  1. おわりに

 決してイスラム教が女性差別的な、あるいは過激な宗教ではないということがお判りいただけましたでしょうか?「イスラム教」というだけで、危ない、とか女性差別的だ、とか決めつけてしまってはいませんでしたか?

 たとえばアメリカの白人至上主義団体、KKKは全員がプロテスタントですが、このことはプロテスタントという宗派が人種差別的であることを意味しません。タリバンやISISなど、イスラム原理主義を掲げるテロ組織についても同じことが言えます。過激なのは彼らだけであって、イスラム教に罪はないのです。

 

 日本にはあまりなじみのない宗教だからこそ、イスラム教に対して偏見を持ちやすいと思います。だからこそ、正しい理解が必要なのです。ちょうど夏休みですし、この機にコーランについて、イスラム教について勉強してみてはいかがでしょうか?

 コーランの入門には、阿刀田高著「コーランを知っていますか」という本をお勧めします。コーランの内容だけでなく、イスラム教の成り立ちもわかりやすく解説されています。

 もしイスラム教を体感したければ、お近くのモスクに行ってみるのもいいかもしれません。インターネットで検索すれば、近くのモスクの情報が得られると思います。キリスト教の教会とも、寺社仏閣とも違う独特の雰囲気を、ぜひ体感してみて下さい。



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 それでは、次回の記事もお楽しみに!

執筆者:FEST TOKYO 11期国内フォトワーク事業部 出張授業班PL 関 響太郎







【参考資料】

阿刀田高(2006)「コーランを知っていますか」(新潮社)



 
 
 

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